日記
チーズケーキを焼いた。クリームチーズ、お砂糖、卵、薄力粉、牛乳、レモン汁。オレオと溶かしバターを敷いた型に流し込む。180℃で44分。そして4分追加した。表面に茶色い焼き色がつき、いい匂いのチーズケーキが焼きあがった。型からはずしお皿に移そうとした。あっ。気がつくとチーズケーキはテーブルの上にななめに落ちた。
ふわふわの柔らかい満月だったケーキは、
一瞬で半月になった。
ショックだった。近くには弟がいた。だけど、わーもうやだーと叫んでいた。わたしはびっくりした。じぶんに違和感を感じたから。そこでふと気がついた。失敗したときや間違えてしまったとき、わたしはその感情から逃げていたんだことに、気がついたのだ。今までだったらたぶん、何も言わずに、心臓だけばくばくさせながらどうにかして隠そうとしていた。ぐちゃぐちゃになったケーキのことも、泣きそうなじぶんの感情のことも。だって、そうなるのが格好わるいと思っていたから。たぶん。
今これを書いていると、丁寧に作ったケーキを台無しにしてしまったのにこんな気づきがありました、って、これも自分の失敗を隠していることなのかもしれないな、と思った。
わからない。
わからないけど、今、あまり悲しくないのはほんとう。ケーキは崩れてしまったけれど、味は変わらなのだし、わたしはケーキ屋さんでもないのだ。
んー、なんだろう。
チーズケーキ、また作ろう。
日記
あっぶない。忘れちゃうところでした。生きてる理由。人生でいちばん大切にしたいことは?美しさを追い求めることです。これこれ〜!
すきな女優さんが、自信というのは誰よりも頑張った、という精神的なこと。そしてそれを周りの人もが分かってくれること、といっていてかんどうした。その通りだと思った。
否定的なことを言われたわけじゃないのに悲しくなるのは、自分に自信がないからです。へいへい。
今日はこれから煮出しミルクティー専門店で、モーニングをします。モーニング、大好きなのに最近できていなかった。ぴりぴりするくらいさむいけれど、ぷかぷかしながら吉祥寺へむかいます。
あと、ほんとうのほんとうは昨日の夜中、いいことがあった。人生がんばろ、って。
日記
師走はいそがしいな、と思っていたけど年が明けてからのほうが瞬間的なのでは?とおもうくらいに毎日が過ぎる。ねぼうした。起きて5分で家をでたけれど、授業に30分遅刻した。ちょっと落ち込む。甘えてるな。千秋庵のくるみ饅頭とオレンジヨーグルト味のシフォンケーキで1日を乗り切った、けどお腹がすいたので直帰する。じぶんに厳しくいられないターンみたいだ。こんな時は甘やかそう、としたいけれど明後日のためにふとることはできない。たえなくちゃ。
外がさむすぎる。さむいのきらい。夏が恋しい。夏が恋しいのってなんかいいな。帰ったらこないだ蔦屋で買ったイ・ランのエッセイを読もう。冷凍にしてるクリームシチューをチンするか、新しくコンソメスープを作るか迷う。料理したいような気もする。わたしの毎日はほんとうに食べものを軸にまわってるな。
どうしてこんなに毎日寂しいのだろう、と考えると、たぶん、ひとりでいる時間が長すぎるからだとおもう。友達といたら笑っていられる。なんでかというと会話があるから。会話は大切。ひとりはたのしい、なんて思ったことない。ひとりでいるときおもうことは、楽だな、ってこと。楽と楽しいはやっぱり違うとおもう。
日記
あ、ゆきだ、とわかるまで少しの間たちどまりました。あさはやく、中目黒から下北沢まで歩く途中。しろい埃が灰色の空から。ドンキホーテで買った焼き芋。最近観た映画のなかに、好きな人のこと、付き合わないまま嫌いになれないでしょう、という台詞があった。ドンキホーテの120円の焼き芋をたべたとき、その台詞を感じた。ずっとずっとほしかった。たべてみたかった。その時が来て、ひとくち食べる。わるくない。わるくはないけど、あ、もういいかな、って。空想は空想のままだと永遠に空想でしかない。
緑色のソファベッドでもういちどねた。
うどんを茹でて卵をのせてたべた。ふたりぶん。ふたつ結びしておだんごするのにはまっている。お父さんのチェック柄のフリースを羽織って、大判のピンクのマフラーを巻くとさむくない。雪国の小学生みたいなきぶんになれる。
吉祥寺で映画を観た。群像劇。
ひとの数だけの日常。
好きとか嫌いとか
死ぬとか生きるとか
秘密とか秘密じゃないとか
嘘とか本当とか
退屈とか退屈じゃないとか
善いとか悪いとか
ひとつじゃないって。日常はひとの数あるよって。
ぜったいにぜったいに単純なんかじゃなくて、複雑で繊細でまどろっこしいじれったさ。そんな感情。そんなに落ち込むこともないなあって。
退屈な日々にさようならを。今泉力哉監督。
映画を観たあとの喫茶店は、特に特別な素敵な気持ちになるからだいすき。ホットココア。すきな匂い。
日記
学校がはじまる。ふゆやすみ最終日のよる、少しだけ緊張してるわたしのことを我ながら可愛いなと思っていた。あと1年で社会人だというのに、未だに緊張してる。
久しぶりに実家に帰った。ママと弟とプロジェクターで千鳥の番組を観ながらお餅をたべた。豆餅が予想の40倍くらいおいしくてたべすぎた。そのあとミッフィーの映画を流した。弟はお皿を洗ってわたしはなわとびをした。なわとびはダイエットのため。今月はしぼる。くやしいから。
気がつくと11時まで寝ていた。お家のベッドはなんだかんだで安心する。よるはクリームシチューを作った。オーケーストアで牛乳とたまねぎひとつと、あと鶏むね肉を買った。これもダイエットのために。蒸して食べるんだ。
結局ひとりでねむっていた。
うーん、この生活は正しいのかなあ。
永遠に不安だな。だれかとお話ししたいな。
1年以上まえのわたしは神保町で餃子を食べていた。iPhoneが教えてくれた。必要ない機能。
今この生活は想像つかなかったもののような気もするし、知っていたような気もする。
日記
3日間 泣き腫らした。かなしいのか さみしいのか くるしいのか もうわからなくなっちゃったなー。なんにも解決しない。一生しないのかもしれない。
名画座の40席しかない小さなシアターでも、しずかな夜中の街を歩きながらも、ベッドの上でもひとりのへやでも声をだしながらも、いっぱい泣いた。
だけどさー、どうしても、わたし運がいいんだー。運がいいこといいこと。わたしの人生は運がいい。
ひとりで行った初詣 おみくじは大吉だった。開運うたがいありません の文字があった。心をかたくもって 一時の不運に あわてさわぎ思いまようてはいけません。
いい映画を見た。カーテンを開けると夕日がつよくてあかるくてうつくしかった。
よるにたべた お肉といくらとうにの宝箱は 少し気持ちわるくなったけど、だけどへいきだ。へいきだ、とおもったから。運がいいから。